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3/9 レジデンスプログラム公募説明会 at 森下文化センター Residence Program Orientation for Japanese Artist
アーカスプロジェクトでは2019年度のレジデンスプログラムより日本人アーティストの受け入れを再開することになりました!
2007年以来約10年ぶりの試みです。

そこで、アーカスプロジェクトをあまり知らない、アーカスに来たことがないけど公募に興味があるというアーティストを対象に、東京・江東区の森下文化センターにて公募説明会を開催しました。
ゲストスピーカーとして、2005年にアーカスに滞在し、現在は日本の現代アートシーンを代表するアーティストとして国際的に活躍している藤井光さんをお招きし、アーカスでの経験を語っていただきました。
パリを拠点に活動しながら、日本に一時帰国する方法を探していた藤井さんは、アーティスト・イン・レジデンスを利用することを思いつきます。

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(以下敬称略)
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藤井光(以下藤井):日本のレジデンスを探していく中で、アーカスプロジェクトは当時、ずば抜けて条件の良いレジデンスでした。日本の多くのレジデンスの滞在期間が2ヶ月ほどであった当時、アーカスは5ヶ月のフルサポート。応募には推薦書の提出も必要で、ややハードルの高いステータスのあるような印象があり、試してみようと思いました。

それまで10年間日本を離れていたので、いわば日本社会を知るための場でした。別の見方をするとある種ひきこもっていた人間が社会に出る移行期のような期間。制作活動もあるけれど、ディレクターの帆足さん*と話すことや、他のアーティストと話す緩やかなコミュニケーションの場でした。

*当時のアーカスプロジェクトのディレクターは帆足亜紀さん(現・横浜トリエンナーレ組織委員会事務局長)でした。


藤井:招聘条件に英語で他のアーティストとコミュニケーションがとれることとありますが、それは気にしなくて大丈夫。僕は英語はできなかった。どうやって話をしていたか分からないくらい。でもジェスチャーとかでどうにかなるし、滞在している間に英語力は伸びます。

小澤慶介(以下小澤):どういう毎日を送っていましたか?

藤井:スタジオから自転車で10分くらいのところに住むところが用意されていて、アーカスから借りた自転車で通っていました。ちょうど僕のいた時につくばエクスプレスが開通して。

小澤:今でも、アーカスの周りは畑がありますね。ベッドタウン化で守谷駅前には高層マンションが建ちましたが。

藤井:アーカスのある場所は守谷駅から離れているし、あんまり変わらない感じの風景なんじゃないかな。スタジオに行って机があって、パソコンを開いて、本を読んで調べ物をしてというような生活でした。

小澤:調査でどこかに出かけたりしましたか?僕の印象では、アーカスに滞在しているアーティストは市民に出演してもらったり、何か手伝ったりしてもらうことが多い気がします。

藤井:滞在していた時は、そもそもなぜ市民と共同制作しないといけないの?自分の制作をしに来ているのに、市民にそれを還元するのは義務ではないんじゃないか?義務にしたら問題があるんじゃないか、と帆足さんに投げかけてました。今でこそ、僕の制作は社会に参加するあるいは関わりを持つような作品のスタイルで認知されているけれど、当時の僕はむしろもう少し、社会を俯瞰的に見て、離れたところから「描く」ようなスタイルでした。自分自身が社会に入って行くなんて、、と思っていた。

小澤:それは作品との距離感が取れなくなってしまうから?

藤井:それもあるし、当時20代で若くて生意気だったこともあり、税金で運営しているレジデンスを正当化するために、アーティストを政治的に利用しているだけじゃないか、と思っていたんです。それでも、帆足さんは真摯にそういった僕と議論をしてくれました。それが、僕に、アートを創ることそのものと公共性の問題とか、アートが持つ社会性ということをより具体性を持って考える一つの契機になったんです。ちなみに、アーティストが地域と関わりを持つことについて違和感を感じていたのは僕だけじゃなかった。他の海外アーティストも疑問に感じていて、アーティストどうしでも話し合っていました。「じゃあ日本人の僕が理由を聞いてくるよ」みたいな感じで、僕はみんなの中で通訳というかメディエーター(仲介)みたいな役割をしていたと思います。
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小澤:僕は当時、藤井さんの年のオープンスタジオをお客さんとして観に行っているんです。今でも覚えているけど、オープンスタジオで市民の反応がダイレクトにあったことが印象的でした。「なんなのかわかんないよ」と言ってるおじいさんがいたりして。作品をめぐるやりとりが開かれていてよい空気が流れているなと感じたんです。美術館の展覧会だと、アーティストはいないし、作品鑑賞の作法のようなものがあるように思うけれど、それとは違ってアーティストと市民(鑑賞者)が対等にやりとりしている感じがした。そういう市民からのダイレクトなツッコミが入るから、それによって作品が豊かになる可能性があるなと感じました。

藤井:それは確かに忘れられない経験です。特にヨーロッパとか、美術館等のインスティテューションに入ると展示の動線があって、その門をくぐればその中に置いてあるものは全てアートだという前提があります。中に入った人は視線は芸術作品を観るよう条件付けられています。でもアーカスにはそれがなかった。市民や観客に対して、そもそもそこにあるものがアートであるかどうかということ以前に表現として見せることになり、観た人から強いリアクションが返ってきた。

小澤:アーティストと市民の間に熱があるというか、アーカスにはいろいろな熱があって、アーティストどうしの間にも熱が生まれる生っぽい体験だったのではないかなと思います。

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藤井:その生っぽいということを別の言い方にすると、これは後に僕が日本に残ることに決める理由にもなるんですが、日本では美術を鑑賞者が受容するときに、自分が前提としていた美術史を抜きにしてダイレクトに反応してくれるんです。美術が美術として回収されないんです。それは、ある種少し恐ろしい場所だと感じたんです。
その後の自分の作品での経験に引きつけると、いわゆる極端な政治思想を持つ人が僕に直接文句を言ってくることがあります。それって作品を美術として受容しているのではなくて、表現として、一種のアクティビズムとして受け取っているということ。僕としては美学的な探求をやっているはずなんだけど、観客からは美的判断を保留してリアクションがくるんです。この状況は、当時の世界を俯瞰して観ていたような視点を引き摺り下ろしました。それはとてもインパクトのある経験で、その後の活動を見た僕の古くからの知人からは、「人類学者になったの?」と言われたりした。つまり制作する上でのポジションが変わったんです。

小澤:藤井さんの作品を見ていると、その時々で距離感や質感が変わるように思います。もしかしたらアーカスでの経験はそうした可能性を広げたのではないでしょうか。

藤井:アーカスは確実に広げましたね。いろいろ予期せぬことが起こったし(笑)。オープンスタジオのために制作費を使いすぎて生活費に食い込んでしまったので、スタジオの入り口に箱を置いて寄付を集めたんです。そうしたら、「税金でやってるのに、寄付も募るなんて!」と住民から怒られたりもしていろいろ学びました。

小澤:僕も駆け出しの頃は頭の中だけで考えていて、それをなかなかうまく身体化できませんでした。抽象的なことをそのまま話していたので、周りの人たちが引いてしまうこともあったり。社会経験を経てそれではまずいと思い変わっていきました。難しい言葉をあまり使わないようにしたりすることで、活動の幅が広がったし得られるフィードバックも大きくなったと感じます。
振り返ってみて、アーカスでの経験は他になにか巡り合わせというか、アーカスきっかけで知り合ったアート関係の人とかはいますか?

藤井:帆足さんと知り合ったのは大切な出会いでした。アーカスを離れたあとも、実は陰ながら僕や小泉明郎さんのことをずっとサポートしてくれていたんです。日本は、経済的な点からアート活動をするのはすごく大変な場所です。そこでアーティストがアーティストを支える組織である、アーティスツギルドを作って自分たちで助け合いながら製作コストを下げる工夫をしたりしたんですが、その立ち上げの時も支援していただきました。また、当時の公募の審査員たちは今は館長クラスの職についているけれど、そういうことより当時お客さんだった小澤さんのような人たちとの出会いも大事でした。
僕は、キャリアを考えて有名キュレーターに会うというのはあまり重要だと思っていません。それよりも同時代的なネットワーク、自分と同時代性を分かち合える人たちとどうネットワークを組んでいくかが大事だと思います。自分の表現云々というより、単純に話して楽しいとか、いつも同じメンバーではなくて別の人を入れて議論しようとか。アーカスはそういうネットワークを作る機会になりました。小泉明郎さんに会ったのもアーカスを通してです。

小澤:藤井さんや小泉明郎さん、僕などの世代で、現在アートの仕事に就いている人の間では、お互い助け合ってやってきたという感覚がどこかありますね。経験を一緒に積んできたというか。レジデンスをそういうネットワーク作りの場と捉えることもできるのかなと思います。

藤井:帆足さんには当時「ヨーロッパに帰った方がいいよ」と言われていたんです(笑)。このアーカスでの作品を作った時も、「地域住民との交流を」と言われるから地元の中学校に協力してもらおうと思ったら、そんな政治的な作品には協力できないと断られることがあったりして。結局いろいろな伝手で協力者を集めたんですがとにかく大変だった。帆足さんは僕が日本に残っていたら大変になるだろうと、ヨーロッパに帰った方がいいと言ってくれたんですが、僕はそれを聞かずに逆に日本に残る決断をしました。小澤さんの前でなんですが、ディレクターの言うことを全て聞き入れてはいけないということは伝えておきたいです(笑)。最終的な判断は自分で下さなければいけない。

小澤:アーティストどうし、アーティストと市民だけではなく、アーティストとスタッフの間にも、そういうやりとりができるニュートラルな関係が築けていたんですね。そうした開かれた場だからこそ、ふだんは眠っている脳みそや感覚が刺激されて作品や活動の幅が変わってゆくのかもしれません。日本人の公募枠からは、長い時間をかけて、社会性のある自立したアーティストが生まれるといいなと思います。
藤井さん、今日は貴重なお話をありがとうございました。

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日本人アーティストを対象とした募集要項についてはこちらからご確認ください。(2019年4月19日郵送必着)

選出された日本人アーティストは、海外アーティストと2名/組と同時期にアーカスに滞在し、制作やリサーチに取り組むほか、茨城県北地域にも滞在して制作を継続し発表します。
日本国内にいながら、海外のアーティストの考え方を知り、国際的なネットワークを作っていく機会にもなります。

皆様からの熱いご応募をお待ちしております。





















by arcus4moriya | 2019-03-09 18:00 | AIR_2018 | Comments(0)
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