こんにちは。石井です。現在12月初旬です。2016年・秋を振り返るブログとなりますがご容赦を。3ヶ月も前のことになりますが、9月17日、茨城県で初めての芸術祭が開幕しました。(もう既に懐かしい...) ちょっと上の写真が斜めなのは、ひっそりチーフ朝重さんに撮影を頼んだからです。こんな機会は二度とないかもということで祝福すべき日に立ち会えました。
アーカス発足時(1994年)からのアドヴァイザーであり、南條史生・茨城県北芸術祭総合ディレクターを囲んで記念の(貴重な)一枚。この芸術祭には、茨城県南のアーカスプロジェクトも協力団体として参加しており、開幕までの準備も陰ながら応援していました。
アーカスプロジェクト関係者もこの日のスタートを祝って大集合。茨城県北エリアという広大な土地での初の芸術祭、まだこの頃はどんなものになるのか県南のわたしたちも想像できませんでした。まさか茨城で芸術祭が起ころうとは。ケンポクでの芸術による地域振興を軸に、国内外から100もの作品が展開されました。過去23年築いて来たアーカスプロジェクトの芸術文化活動の成果も、11名の過去招聘作家の参加作品を通じてご覧いただけるような機会ということで、この65日間がどんな芸術祭になるのか、楽しみです(と書くはずでした..)。
既に11月20日閉幕したKENPOKU ART 2016は大盛況のうちに終わったようですね。茨城県南はいつも通りのAIR(アーティスト・イン・レジデンス)事業をしながら、守谷から県北芸術祭を楽しむ中学生バスツアーや市民バスツアーを催行したりと、守谷とゆかりあるOBアーティスト達の作品、そして大自然と多彩な作品群に会いに行きました。(それも追って報告します。)
というわけで、今年のレジデントアーティスト達がオープニングに行った時の様子を。出展作家との関係やちょっとした思い出なども含め、記憶を取り戻しながらダイジェストで紹介します。
↑左)
藤 浩志さんは実は2001年に水海道(現在の常総市)と石岡市でワークショップ「かえっこバザール」を実施していただいたアーティスト。当時、アーカスが最初にディレクター主導のプロジェクトとして発足した年でした。その年に滞在していたピウス・シギットがとても影響を受けた作家さんだったそうです。キュレーターの金澤さん(中央下段)、お疲れさまでした。OB作家が本当にお世話になりました!右隣には、あの最後の最後に公式HPのサーバーがダウンしたというきっかけのツィートに掲載されていた作品
「ブラック・フィールド」のザドック・ベンさん。
↑(中央) ワン・テユ(台湾)は2000年度にアーカスへやってきました。常陸大宮市・家和楽青少年の家での「No.85」と名付けられた巨大なバルーン作品も記憶にあるかと思います。
今回、テユの作品をテーマに作られた出展作家の
佐藤悠さんのKENPOKU SONGSの中の
「やわらかいくうかん」を聞きたくなります。テユはまさに16年前の滞在時に西ノ内の和紙を紙すき体験したり、大子でリンゴ狩りをしたりと、県北経験がありました。そのときには同期の眞島竜男さん(今年、糸島国際芸術祭や岡山芸術交流に出展)も一緒だったのも懐かしいです。
オレンジのニットをまとっているのはハイパーニットクリエイターの
力石咲さん。2012年度に地域プログラムでアーカスに招き
ひょうたんを編むワークショップを実施。常陸多賀では街中がニット・インベーダーに包み込まれていました。そしてお隣の
中崎透さんは2007年度にNadegata Instant Partyとして実施した アーカススタジオでは伝説の
「パラレルスクール」のアーティスト。県北の舞台・6市町となる前の旧町村名を「看板屋なかざき」で表現。この地名を知っている人には特に実にグっとくる看板です。
山側のキュレーター、四方さんにも大変お世話になりました。(中央)
こちらは2006年組。後ろでカメラを構えているのは高戸海岸で指の生えた貝の作品で存在感のあった
スッシリー・プイオック(タイ)、前列は、日立市郷土博物館のワンフロアを使い、日立市の歴史に寄り添い緻密にリサーチした作品を展示した
ティファニー・チュン(ベトナム/米)。テア・マキパーも含め、この3人は茨城で10年ぶりの再会。
2人の後ろの中央に見えるのは2008年度招聘の
デビー・ハン(韓国/米国)。
そのデビーがアーカスにいたときにディレクター(3代目)だったのは、インディペンデント・キュレーターの遠藤水城さん(左)。当時大学生だった志村さん(右)は現在石巻のReborn Art Festivalに。懐かしい面々はどんどん増え。。。
手前左から日立の日鉱記念館で展示した
タクシナー・ピピトゥクル(2001年/タイ)、スッシリー(2006)、中央左から常陸大宮市で展示した
レ・トゥア・ティエン(2003/ベトナム)、大子町の上岡小学校で展示した
ピウス・シギット・クンチョロー(2000/インドネシア)、会田守谷市長、ティファニー・チュン、そして一番背後に朝重さんと、
テア・マキパー(2006/フィンランド)。...と集合すると更に...
左に
日比野さん(1999年から現在まで継続中のHHでおなじみ)、右に2代目ディレクターの帆足さんと。歴代の顔ぶれが集合。今回HIBINO HOSPITALの17年を振り返るアーカイブ資料を展示とのことで、アーカスでのWSの歴史を日比野さんと恊働させていただきました。
久々に茨城へ帰って来たアーティスト達は県北で会田市長とも再会を果たし、ご挨拶。
日立駅前で
「ノアのバス」を発表したテア(左)、高萩の穂積家にて
「ウェブ・オブ・ライフ」を展示したデビー・ハン(右後ろ)。そして中央には今年のレジデント、エルネストも。エルネストはあまりにもアーカス出身の先輩OBアーティストらがあちこちにいるので混乱していたご様子。
デビーは8年前の守谷では日本食材を用いて女性のアクセサリーを作り、それらをモデルにまとわせた写真作品を作っていました。そのモデルも当時の守谷市民です。
現在NYを拠点に活躍するデビーは、当時と変わらぬその特徴的なヘアスタイルとは裏腹に、とてもフレンドリーに現役アーカススタッフとも話してくれました。
こちらはなんと!1996年に招聘した日本人アーティストの山出淳也さん。現在ではBEPPU PROJECTの...として知られる誇るべきOBです。そして野口さん(右)はその当時のアーカス担当。山出さんと同期の
タワッシャイ・プンサワッ(タイ)はあいにくオープニングに来れなかったのですが、茨城県で20年ぶりに制作をしたことになります。ここには映り込まずにどこかに潜んでいたヴェンザ・クリスト(インドネシア)は2002年度のレジデント。彼は日立市の小貝ケ浜緑地で
「虚ろ舟ミニ博物館」を展示。そして、オープニングには来れなかった
ソンミン・アン(2010年度/シンガポール) は大子町で「大子ロストアンドファウンド」というサウンドインスタレーション作品を展示しました。そして2014-15年と地域プログラムで宇宙芸術分野のプロジェクトを実施した「つくば座・もりや座」の鈴木浩之+大木真人さんも今回
「いばらきけんぽく座」を展示。6市町の一カ所一カ所に各地域の人が集って電波反射器をそろえ、同時多発に人工衛星を用いて県北の地上を宇宙に見立て、過去最大の巨大な星座を作りました。実は茨城県北芸術祭は県北エリアのみならず、県南の科学都市、つくばとのつながりも外せません。サイエンスとアート、ハッカソン、書や陶芸、われわれAIRの活動も含め様々な分野のアーティストやクリエイターが集まっていました。
ここには全て掲載しきれませんでしたが、それぞれOBアーティストたちがお世話になった県北チームのアシスタントの皆様、有難うございました。2000年組のシギットとタクシナー(通称ハルちゃん)は15年ぶりの再会。茨城県北芸術祭でリユニオンすることができました。
それから知る人ぞ知る、2000年頃から「アーカスの父」として歴代アーティストの面倒を見て下さっている要さんも駆けつけてテユは嬉しそうでした。
最後に、これまで23年間、守谷市で世界各国からレジデントアーティストを迎え入れ、送り出して来た会田市長も、この日は本当に嬉しかったことと思います。この日はなんとなく、アーカスに関わりのあった人々にとっても、ちょっと特別な日だったように感じました。これを機に、初めて茨城を知って頂いた参加作家の皆さんにも会えて、これから観てまわれる作品に期待が膨らみます。(と書く予定でした。) 会田市長もこの11月末をもってご勇退され、アーカスプロジェクトとしてはひとつの時代の転換期を迎える2016年・秋となりました。後日談にはなりますがこれから少しずつ、歴代招聘アーティスト達の作品も紹介していきたいと思います。
無事開催、おめでとうございました!
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