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11/15 関連企画『サイト/地域に特化するとは?-アーティスト・イン・レジデンスと国際芸術祭』-3
石井です。2時間のディスカッションには重要なコメントがちりばめられており、ブログにするには長文ですが記録として続けます。それぞれ(AIR、美術館、国際芸術祭)における参加の性質やプラットフォームのあり方について。それぞれの立場からのコメントが続きます。

(※ここでは三部構成でお届けします。なお、2時間に及ぶ各発言に即していますが記録構成上、部分的に表記編集・割愛部分があることを予めご了承ください。「アーティスト」を掲載文字数の関係上「作家」、「アーティスト・イン・レジデンス」を「AIR」としています。)


今年の招聘作家、アンガーからの質問が続きます。
「今回、作家からの意見や運営している人からのAIRについての意見も聞いたが、守谷に住んでいる市民はAIRについてどんなインスピレーションを受けているか、得られているものはあるのか、実際のところ聞いてみたい。」と。
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急遽問われた質問に、飯田さんからも「守谷に住んでいる人で、アーカスのプロジェクトまたは3人のレジデントから何か得られた人に聞いてみましょう。」と移り住んできた人に挙手を募ります。

まず一人目、まさに近隣自治体つくばみらい市に移住してきた方からは「守谷中央図書館のアーカス掲示板が面白い。」とのコメントをいただきました。(※市内で唯一、図書館にある私達の活動をお知らせしている専用掲示板。回覧板や市報でのイベント告知をする以外に、図書館で目にする市民に向けて設置している。)そして、来る2020年の東京五輪における様々な文化事業についても言及されました。前回の英国五輪では大量の文化イベントが行われたのでアーカスプロジェクトのような文化事業も参加したら良いのではないか?との率直なご意見を述べられました。
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(そのような視点で活動に注目してくださる市民がいることに驚きました。20年前にはそんな意識をもつ機会は誰にもなかっただろうと思うと、市民の意識の変化も進化していると筆者は思いました。)

次に、近所に住んでいる高倉さんからもご意見がありました。

「松前台に住んでおります。二人子どもがおりまして親という立場から考えると、こんなに歩いてすぐ行けるところに外国人が年に三人きて3ヶ月滞在して、子どもを連れていけば、なんだろう?と興味をもって話してくれる。こういうのは日本中探してもそうそうある環境ではないなと思っていて。例えば近所の子どもの話を聞くと、週に一回、英会話に通わせてお金を払っていると。もっといい場所あるじゃないかと思うんですね。だからこういうところにもっと沢山の人が来て、もっと意見交換が生まれれば…。美術教育ということを考えている時にも、学校で教えているようなことよりも、より実践的なことを吸収しながら多様な考えを育んでいけるのではないかと思うから、個人的にはこの場所があるのは有り難いし、なかったら逆にすごく寂しいなと思います。」
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飯田さんがそれに答えます。

「今、お二人からとても良いコメントをいただきました。ないと寂しいと思ってもらえるのは22年の歴史ですね。地域に定着しているのだなと感じます。2020年の東京オリンピックにむけて立候補されては?という提言については茨城県がどう考えていくかではないかな、と。
私はこういう地域にあるAIRが地域のレベルで活動していくのはすごく大事だと思います。国は国のレベルで外交に基づいて海外と交流するラインがありますし、守谷というチャンネルやアーカスというチャンネルからピアトゥピア (※補足:peer to peer 対等な者同士) で直接つながることができる海外の人たちもいます。国を通さないといけないという仕組みができてしまうと、そういうパートナーシップがつぶれてしまう。そうではなく、すごく小さな草の根交流かもしれないけれどもある地域に居続けて、そこで自分のパートナーとなるような外の世界とつながっていく場所が数多くあることが非常に大事なことなのではないかと思います。」

飯田さんの後にエドゥアルドからもコメントが出ました。

「今回の話を聞かせていただいて『地域/ローカル』に関して考えていくと、守谷に住んでいる方々とはたぶん違うレベルで茨城や日本人など違うスケールでみて、尺度を変えて考えるといろいろ変わってくるのではないかと。例えばスタッフのなかでも、守谷でも茨城県でもない違う地域から来た、それぞれが違う歴史や背景をもっている方々がアーカスに携わることによって場が活性化して、なおかつ我々のような海外の作家が参加することによって、違うものの見方が現れます。それが大事なのではないかと。違うものの見方が介入することで新しいエネルギーが生まれるのではないかと思う。ただ、ちょっと気になるというか危ないなと思うのは、『地元の人たちをどれだけハッピーにできるか』というところだけを尺度として考え始めてしまうことです。たまにはひょっとしたら作家が何かやった結果として地元の人がすごく怒ってしまった、ということも大事なのではないか。と考えたりします。」
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飯田さんよりエドゥアルドの話から、芸術祭での事例を挙げていただきました。
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「非常に大事な指摘です。実際にそういうことは、アーカスにおいてはわかりませんが、国際芸術祭ではあります。作家がその地域を知り得る期間が短く限られているので、場合によっては表層的なリサーチになることもあり得るし、作家に悪気がなくても運営上の問題や関わり方のために、期待や思っていたものとの違いでハッピーに終われないことも多々あります。扱うテーマが、例えば政治的なタブーや震災の問題や福島の原発事故など、人によって考え方が全く違う複雑なグラデーションをもつ場合はなおさらそういうことが起こります。必ずしも人をハッピーにすることが芸術の目的ではないので、そういうことも時にはあっても良いと思う。けれどもAIRはそういう場所なのかどうかは引き続き議論していきたいですね。

エドゥアルドの意見で思い出したのは、星野さんが事前に紹介してくださった『パラサイト』の定義です。日本ではフリーターをずっとやって40歳を過ぎても親のすねをかじって、という意味合いの『パラサイト』も聞かれますが、そもそもパラサイトは法的権利もないのに(家主の)傍らで居候的に食事をしているような人という語源があるそうです。AIRにおける作家もそういう意味でパラサイトしていると思うのです。法的に来ているという意味では語源のパラサイトとは違いますが。理想的には、作家はある種エイリアン/パラサイトとしてこの守谷に来ていて、それが地域なり住民なり、関わっている人たちに精神的に関与して浸食していくようなことがもし起これば、それがハッピーであろうが不快であろうが、パラサイトとして成功なのではないかと。ここでパラサイトについてちょっと星野さんにお話いただこうと思います。」

星野さんより「パラサイト」について解説されます。
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「今話題に出していただいた内容は、5年ほど前に京都市立芸術大学のギャラリーで行われた展覧会の図録に書いたエッセイが元になっています。『パラサイトの条件』という、パラサイトという概念についての簡単な考察です。『パラサイト』の語源に関して面白いと思うのは、実は『パラサイト』は場の『サイト』とまったく関係がないということですね。元々ギリシア語で『パラシートス (※Parasitus / παράσιτος):穀物をくすねとる人』という意味の言葉なのですが、現代の英語で、これをパラとサイトに分割すると、『傍らにある、寄り添っている』という意味の接頭辞『パラ』と、『サイト』の組み合わせになる。『パラサイト』というと我々はネガティブに捉えがちですが、それを『場の傍らにいる人』というイメージで捉えると、とても興味深い形象として浮かび上がってくる。そんなふうに、『パラサイト』という存在を『場の傍らにいる者』として、生産的で肯定的なものとして考えることもできるのではないでしょうか。」

更に飯田さんが具体的な話を聞きだします。

「その傍らにいる人が、結果としてホストや宿主を浸食していく例を以前に挙げていただきましたけれども、そういうのはアートの現場でも起こり得るのでしょうか。」
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「そうですね…。起こりえることだと思いますし、イメージとして文学作品を引き合いに出すと、例えば、『書写人バートルビーBartleby, The Scriverner:ハーマン・メルヴィルの小説)』という短編作品では、法律事務所の雇われ人であるバートルビーという書写人(コピーがない時代に手書きで写す人)が、語り手の『わたし』という雇い主の事務所に寄生して住みだすんですね。物語が進むに連れて、雇われ人であるバートルビーと、雇い主である『わたし』との関係が、徐々に転倒していくわけです。ある意味でバートルビーは、『サイト』に寄り添うというか、むしろみずからの言動を通じて『サイト』の性質そのものを変えていく。『パラサイト』に何か生産的な意味を見出していくとすれば、そのようなことが重要かなと思います。」

星野さんのコメントから続けて飯田さんより、場の性質が変容していく可能性について小田井さんに投げかけます。

「性質を変えるということはできるかもしれないですね。招聘作家が滞在期間後にそのまま住み着くのはアーカスでは無理かもしれませんが、滞在が数年後のアーカスのプロジェクトの質自体を変容させていくことはあり得ると私も思います。実際22年間の蓄積で変わってきたことも多々あると思いますし、招聘される作家の質も変わってきているのではないかと。例えば南アフリカからの招聘は今回初めてでしたし、シニアな作家時もあれば若い世代の時もありました。地域からの要望もあるでしょうし、いろいろな変遷があっただろうと。性質の変化が行政レベルでの枠組みを変えることになっていくと、コーディネーターとしても面白いことになっていくのではないかと思いますが…。小田井さんには今日久々に来られていますが、20年間の大きな変化を感じることはありますか?作家の実践における性質の変化や、近隣地域の変化など、どんなことが考えられるでしょうか。」

小田井さんが答えます。
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「今日思ったことというより、ここ近年ですごく変わったと思っており、そのキーワードは『共有する』ということ。さきほどアンガーが言っていたが『シェアをする』という発想は、初期の頃のアーカスにはなかったかもしれないと。いかに作家が素材としてのエキゾチックな日本を見て、そこから何かを採取・回収して、作家というフィルターを通して新鮮な作品を作っていくことを目的としたコーディネートが求められていて、市民など集まってくる人も『良い作品ができること』を期待していた。ところが今のアーカスは、この場に集まってくる人やAIRそのものに関心を寄せる人たちと、作家がやってくる度に何か新しいことをシェアしたり体験を求めたり提供したりできるようになっているのではないかと。なんとなくの感覚だが、私自身が何年もAIRに関わっている立場としてもそのような変化を感じています。」

そして本日、昔のレジデント作家が来ているということで、飯田さんから昔と今の違いについて聞いてみますか?と。
来日中でスタジオに来てくださった2003年度招聘のティエンさん(ベトナム)と1996年度招聘のタワッシャイさん(タイ)にも質問が飛びます。
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「私は2003年に招聘されました。今日は数時間前に着いたばかりで違いを語るには難しいと思うが、私自身が2003年に来た時はコミュニティ(高校生やご年配の方)と一緒に作品を何か作ることをしたのですが、今回ここに来て地域/コミュニティの地位がまだあることがわかって素晴らしいと思いました。アートをコミュニティに根付かせ、アートがコミュニティにある、コミュニティがアートを意識する。その関係性を作っていこうという意思がいまだにあることが素晴らしいと思う。私は世界のいろいろな国でAIRを体験してきたが、強くコミュニティを作っていこうというAIRはそうそうなくて、アーカスにはそれがある。コミュニティの中で『守谷と言えばアーカスだね』というイメージが最終的に根付くことを期待します。」

タワッシャイさんからも一言ありました。
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「私は1996年に招聘されたのでほぼ20年くらい前です。アーカスが私の作家としてのキャリアの中でいちばん最初のAIRです。やっぱりその時の印象が非常に良くて作家として頑張っていこう、と思うようになり続けることができました。それはとても有難いと思っています。20年間という期間の中で、やはり20年前も今日みたいな形でいろいろな人たちや、地元の人たちが関わってサポートしていただいて、という形が既に当時できていました。当時もこういう形でこの部屋でトークがあり参加した人がその話を聞くという機会がありました。今後も継続していってくれたらと思います。」

と、懐かしむタワッシャイさんの話から、私たちの知らない20年前にも既に同じようなことがされていていたのを知るのでした。

飯田さんからのコメントが続きます。

「経験や体験を共有していくことは作家だけでなく、コミュニティ全体、地域全体とも関わっていると思いました。今日少し前にパフォーマンスや演劇と美術が徐々に近接してきていることに関する話がありましたが、観劇している時やパフォーマンスを見ている時を思い出してみると、あまり体験が共有されていない気がします。劇場という空間のなかで観劇している時間は人と共有されますが持続するものではないし、そこで個人として得た経験や体験は個人のなかには残るけれども、こういう(アーカスのような)共有のされ方ではないですね。美術とパフォーミングアーツは、近くなったといえども共有という点においては若干まだ違いがあるのかなと。
20年ぶりに戻ってきた卒業生の作家から、『まだあって良かった、続けてね』と言われることはアーカスにとって大きな意味があることだと思います。今後もどう変わっていくかわかりませんが、『継続は力なり』ですね。これがモデルケースになります。アーカスみたいになろうと頑張っているところもあるので、そういう場であり続けるというのは非常に大事なことだと思います。」

星野さんからも最後にコメントをいただきました。
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「概してフラジャイルな文化事業が多い中で、アーカスが22年続いているのはすさまじいことだと思うんですね。それは、はじめの方で小田井さんが仰っていたことだと思うんですけれど、場所や施設を作るとなかなかやめられず、結果的に続けていかざるをえないという状況ができる。それこそ『サイト』を作ると、そう簡単にはやめられない、つまり事業を続ける一つの背骨になるわけです。日本ではかつてハコモノ行政が厳しく批判された時期もありましたが、継続ということを考えた場合、具体的な場を作ることは重要なことだと思います。
もうひとつ個人的に思っていることがあります。こういった事業の場合、『コミュニティ作り』はもっとも話題にされるトピックのひとつですが、他方で地域に根ざした文化事業(施設)の意義は、それに強く反応する『個人』を作ることでもあるのではないかということです。さきほど、アーカスが20年以上続いていることを強調したのは、20年というのは子供が大人になるために必要な時間だからです。10代の頃にこういうところに来ていて、20年くらいすると業界で立派に働きだす、みたいな(笑)。そういう意味で言うと、自分にとっては水戸芸術館の存在がすごく大きかったです。高校生に入るまで、僕は美術に全く興味がなかったのですが、たまたま高校の近くに水戸芸術館というひとつの文化施設があったことで、その後の人生がまったく変わってしまった。
例えば、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館をはじめとして、90年代には日本各地で現代美術館がいくつかできましたよね。自分の同世代でも、当時10代だった人たちが、そうした地方の美術館を入口として美術に関心を持ち、現在この世界で仕事をしているという話を少なからず聞くことがあります。守谷でも、20年経つときっとそういう人が現れてくるでしょう。本来、文化行政はそれくらいのスパンで考えられるべきものです。AIRや芸術祭に限らず、短期的な数値評価では絶対にこぼれおちてしまう『20年スパン』の人の現れ方を見ていかなければならないと、つくづく思います。」

最後のコメントに飯田さんは。

「素晴らしいコメントですね。地域のなかに強く反応する『個人』をつくる。最終的に芸術は個人的なもので、誰に頼まれなくても作家はひとりで作品を作るし、見る人も自分の経験として持ち帰ります。今日、水戸芸か水戸市から来た人はいないですか?聞かせてあげたいです。文化施設の存在により(星野さんを指し)『ここに成果がある』と、そして水戸芸の重要性を言って記録に残した方が行政的に継続しやすくなるのでは。」
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と、すかさず飯田さん、小田井さんからのコメントに星野さんも

「水戸芸がすごく重要だということは最近積極的にいろいろな場所で言うようにしています(笑)」と。

加えて、飯田さんからも常にいくつか話題にしていることをひとつ挙げてもらいました。

「ビエンナーレは2年に一回、トリエンナーレは3年に一回開催されます。子供の時にみた国際芸術祭をその子が成人するまでに見る回数を計算すると、だいたいビエンナーレの場合は2年に一回だから10回、トリエンナーレの場合5〜6回、開催されると20年経ちます。それをボディブローのように見続けたら、職種は何であれ芸術文化が身体にしみつくもの。そういうサイクルが実現しているリバプール(ビエンナーレ/英国)、シドニー(ビエンナーレ/豪)、ブリスベンのアジア・パシフィック(トリエンナーレ/豪)といった継続してきたビエンナーレやトリエンナーレは今、強靭なものになっています。
それらはどちらかというとステートレベル(県レベル)でなく市レベルの自治体主催が多いです。規模としては県ではなく市レベルのところが地元に特化した文化事業を定期的に実施して、子供が芸術畑に(さまざまな関わり方で)戻ってくるというサイクルが実証されている。日本では水戸芸術館がモデルケースになった証拠がここにあるということがわかりました。」

最後に小田井さんからも一言いただきます。
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「美術館や国際展も中身や性質もいろいろあるので一概には言えないが、たぶんAIRが他の文化事業と違うのは、飯田さんも仰った通りプロダクションの現場であることと、生活と仕事の境界線がはっきりとはしておらずグラデーションでつながっている、または入り混じっているというところがある。だから『暮らしている』ということが前提になり、ただ純粋に制作するだけではなく地域に住む、暮らすという行為そのものが沢山のフックになる。その場所に対しても何かしら第三者が関わるような、とっかかりになる部分が多い。そこはひとつ私の中で面白いところだし非常にグレーなところがAIRの魅力だと思っている。守谷には美術大学、美術館がある、ギャラリーがありますとかいういわゆるその場所での「アーティストの滞在理由」は何もない…そんな場所だから逆にすっと入っていけて、ひとつのコミュニティになってサイトになっていったということができたのではないかと。」

飯田さんが小田井さんの言葉を受けて、
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「暮らす/生活があるということですね。ただ制作のサポートだけでなくAIRを運営していくうえで、ここでコーディネーション業務を担うスタッフの皆さんは寮母みたいになっていくでしょう。生活と芸術生産がいちばん密接につながっているのはAIRの場所かもしれません。
本題には出さなかったですが最後に関係することを述べると、サイト・スペシフィックという言葉が使われ始めた1970年代初頭にアメリカのゴードン・マッタークラークという作家が『フード(Food)』というプロジェクトを行いました。フードというのは文字通り『食べ物、ご飯を作ってふるまって食べる。』その後1990年代にはタイ出身の作家、リクリット・ティラバーニャ(or ティーラワニット)がそれをふまえて食のパフォーマンスをしています。その二者の決定的な違いは、マッタークラークは別段、観客を巻き込んだり参加を求めたりしていないこと。70年代のインフラがあまりない頃、芸術家友達が集まれる場所を作るために食べるという行為を通して場所を確保する、つまり自分たちのサイトを確保するためのプロジェクトとして行われたことでした。それが食べ物を使ったりコミュニティを作ったりする後世の作家にも影響を及ぼしている発端のひとつです。マッタークラークのプロジェクトはまさに、『Food was an active and dynamic site. (フードというプロジェクトはアクティブでダイナミックなサイトだった。)』と言及されています。施設があったわけではなく、空間であり、コミュニティ、作家という人間を含むサイトでした。さっき小田井さんが仰った『生活する、暮らす、食べる、寝る』ということにも付随して、このAIRという場所もマッタークラークのフード的なサイトでありうるのかな、と最後にサイト・スペシフィックの起源について思い出したところでディスカッションを終わりにしたいと思います。」


今回の議論を通して、地域における芸術祭や文化事業を繰り返し行うことが、当時子どもだった子が大人になる頃までに、影響を少なからず与えるであろうサイトに成長し、AIRに関わる人々によってサイトの存在を実証できるのであれば、22年疾走し続けている守谷というサイトに存在するアーカススタジオは何を具体的に実証していけるか、日本のAIRの歴史を考えるうえでも、今後より興味深い分析ができそうです。 

本日のオープンディスカッション、お陰様でたくさんの方々にお越し頂きました。お集まりいただいた皆様、有難うございました。ご登壇頂いた星野さん小田井さん、モデレータの飯田さん、そして通訳の池田さん、有難うございました!最後にアーティストとも記念写真を。
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そしてお約束のオフショット。
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写真:加藤甫
by arcus4moriya | 2015-11-15 17:24 | Open Discussion_2015
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