11/18 アーティストトーク×飯田志保子
皆さん、どうもこんにちは。藤本です。
OPEN STUDIOS4日目の11月18日(水)、本日はアーティストトークの日。
ゲストキュレーターの飯田志保子氏と3人の招聘アーティストが、各自のスタジオで対談しました。

以下、アーティスト自身が語る活動紹介を記載致します。
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ステファニー・ビックフォード=スミス[英国]
「たぶん、私は日本語を話す日本人に見える、日本人として感じた」

英国ではなく、守谷で生まれ育ったとした場合、私の人格はどれほど異なったのだろうか。私自身が日本人であると想像することから、どのように1人の人間が、異なる国籍をもつ仲間と感情のつながりを持てるのか探求しています。
コミュニティに介入し、観察することで、守谷での仲間の感情を理解し始めました。この感情と私自身の守谷での体験を比較しながら、日本人としての私はどうであるかを想像し始めました。書くこと、うごき、音、パフォーマンスを通して、私自身と他者が、それぞれ別人格をイメージすることが可能となる創造的な演習を行いました。
大規模な移民社会のなかで、国籍を維持する心理的な境界に挑戦し探求しようとしています。

制作の一部として、パブロ・ナルーダによる「衣服への歌」を独唱します。
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ステファニーは、まず簡単なワークショップから始めました。彼女の活動の一端を観客にも追体験してもらおうという狙いがあります。ある国に住むある人の朝の生活音を録音してそれを聞きながら、その人物を想像することと、その人物にどれだけ自分を置き換えることができるかというワークショップ です。
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皆さんが、どのように、どれくらい他者に同化することができたのか大変興味深いです。
彼女は、ここで日本人になることに挑戦しました。それは、一体どういうことだったのか…。
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次に、映像をみながら話します。最初に行ったワークショップと、コンセプト自体は同じですが、この映像の場合はステファニー本人がある特定の人の姿や振る 舞い、細かな仕草を身体的にコピーするという方法をとっています。このスタジオにある3つのモニターに映し出されているのは、いずれも守谷市在住、または 出身の同世代の女性と、彼女らを本気で模倣するアーティスト本人です。
体の動きが精神性をからくるものだとしたら、動きのコピーから同化を試みるということは実践としては面白い結果を生むかもしれません。

飯田さんからの質問で、動きを真似する相手に注意を向けていない時は、イギリス人に戻ってしまうのか、というものがありました。
それに対しては、動きを真似ると言う事だけではなく、感情も読み取る行為を重ねることで、自分自身の中の似たような感情を重ねあわせられる。そうすると、 日本人・イギリス人という境界が自然に曖昧になっていき、人種を超えたそれぞれの自己を見つめることができる。他者になろうとするのではなく、横に寄り添って理解するという行為。
国籍に挑戦したい。自分の持っている国籍以外の状況に自分を無理矢理あてはめることで、出現するブレに興味がある。精神的な国境を揺るがすことにチャレンジしたい。というのがステファニーの答えでした。
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他者と自己の壁を少しでも超えられる瞬間があったとしたら、それは一体私たちに何をもたらすのでしょうか。多様な背景を持った人々が混じり合い、共存するこの世の中でそういった行為が無駄ではないことは明らかです。
私たちの平穏な生活が、実は人々のはかり知れない想像力、他者を思う気持ちによって、ようやく成立していることを改めて知らされます。




続いて、エドゥアルドのスタジオへ
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エドゥアルド・カシューシュ[南アフリカ]
「segurando, andando, caindo - つかむ、歩く、倒れる」

segurando, andando, caindo - つかむ、歩く、倒れる は茨城の中高生2つのグループを対象に行ったワークショップのシリーズです。常総市にあるエスコーラ・オプションの日系ブラジル人中高生、また取手市の取手松陽高等学校の日本人高校生に参加してもらい、文化、言語、日常生活での身体の動きについて問いかけました。
このワークショップを実施するにあたり、私は1世紀以上にも及ぶブラジルと日本の政治的、社会的関係性を念頭に置き続けてきました。ブラジルにはおよそ1500万人の日系人が住んでおり、日本には約20万人の日系ブラジル人が住んでいます。このコミュニティと日本との関係性は、日本人でもありブラジル人でもあると自覚する人々にとって、重要なつながりとなっています。
複数回にわたって実施したワークショップからそれぞれの生徒が制作したのぼりや、そのワークショップのプロセスの様子を記録した映像で構成されたインスタレーションで成果を可視化しました。また22日の最終日には、それぞれの学校から選出した生徒たちによるパフォーマンスを行います。
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まずは、南アフリカの複雑な植民地としての歴史についての話。(南アフリカはまずポルトガル人によって発見され、その後、オランダによって、さらにその後イギリス人によって植民地化された。)ポルトガルに生まれて南アフリカに移住した自分自身のアイデンティティの有り様(エドゥアルドの両親はポルトガル人)や、建築を専攻していたというバックグラウンドから美術へ移行した理由などにも触れつつ今回のプロジェクトについて説明。

本人の希望で、トーク後に自身のパフォーマンスを披露しました。
タイトルは「ビバ !ブラジル」。5分間の短いパフォーマンスです。
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緊張感が空間を満たし、普段のスタジオとは全く別の場所のようです。
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力強く、大変美しいパフォーマンスに、目も心も奪われます。
その理由はいくつか考えられますが、まずひとつにはパフォーマンスとしての巧みさ、例えば声の表情、強弱、計算し尽くされた動きが作る強度。
そして、パフォーマンスを行うエドゥアルドが個人としての存在を超えた空虚な器として現れてきて、ゆっくりと、聞き覚えのある歌のフレーズを含む多義的な台詞を繰り出す瞬間。その瞬間に鑑賞者は、過去の記憶を喚起されアーティストの発する台詞に自己を投影してしまうのかもしれません。

しかし、パフォーマンスの後半になると、アーティストは時折観客の方に鋭く目線を向け始めます。さらに観客は、アーティストによって大声で発せられる「Viva 」や「Brazil」という台詞により、自分の過去への没入から目覚めさせられ、特定の社会の問題に目をむけること、想像することを促されるでしょう。
こちらから、パフォーマンスの一部(全5分のうちの1分8秒)をご覧いただけます。



最後は、アンガーのスタジオです。
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ティモテウス・アンガワン・クスノ[インドネシア]
「何を覚えていたか忘れた」
レジデンスプログラムの期間中、私は人々から物語、記憶、また秘められた質問を「Lost and Found and Lost and What Department (LFLW : 失くして見つけて失くしてそれからどうなる課)」を通じて集めてきました。LFLWは、私のスタジオ内に設立された架空の機関です。私はここで集めた物語に手を加え、参加可能なインスタレーションとして疑問を掲げます。LFLWはオープンスタジオ会期中にオープンしています。同じ部屋を時間帯で分けて活動展開することで、「忘れる事」、「思い出す事」に区切りをつけ、対比を浮き上がらせます。昼間にスタジオは「フォゲッティング&リメンバリングクラブ」となり、夜には「ロスト アンド ファウンド&ロスト アンド・カラオケクラブ」へと替わります。
昼間だけオープンしている「フォゲッティング&リメンバリングクラブ」では、スタジオで用意している材料を使って参加者自身の物語を共有することができます。そして、日が沈んでからは「ロスト アンド ファウンド&ロスト アンド カラオケクラブ」となり、どなたでもご参加いただけるステージを用意しています。オープンスタジオ最終日には、この「失くして見つけて失くしてそれからどうなる課:LFLW」の「ロスト アンド ファウンド&ロスト アンド カラオケクラブ」にてDJパーティーを行う予定です。
この制作は「Remembering and Forgetting as Social Institution」(1990年)について議論したジョン・ショッター(John Shotter)への応答です。一方で、この制作は過去2年間に私が取り組んできた「歴史上の架空の物語」を展開する既存の方法へ挑戦する実験でもあります。過去に私は、「架空の物語」を歴史に加えることで、語られることのない集合的な記憶を記録する実験を試みてきました。今回の滞在では、実際に語られた記憶を集める方法を優先的に行い、仮説(またはフィクションと思われるもの)を通して課題を投げかけることを試しています。
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インドネシアのスハルト政権時代に行われた歴史の書き換え・正当化についての話から始まりました。時の政権によってある意味歪められた歴史は現在でも教科書などに平然と登場します。これらを極端に表現するならば、国が作った“フィクション”とも言えます。ところがインドネシアの若い世代のアーティストが、アンガーのように歴史の見直しや真実の探求に感心があるわけではなく、むしろ自分は少数派である、と本人は言います。むしろ、自分の制作活動の方向性には国内のアクティビストたちの影響があったようです。
本人は悪者(例えば政治家や国家など)を見つけたいわけではなく、歴史上の事実を知り、客観的に判断することで、同じ過ちを繰り返すことを避けられる可能性を信じています。
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アンガーのスタジオは昼の部・夜の部とわかれており、この時間帯には夜の部「ロスト アンド ファウンド&ロスト アンド カラオケクラブ」。本来ならカラオケタイムですが、本日はこのトークの後にスタートすることになりそうです。
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本人も触れている通り、彼が作り出した架空の機関では、昼間、鑑賞者は守谷市周辺に住む人々から集めた多用な形態で表現された物語、記憶、また秘められた質問を見る事ができます。文章や、インタビュー映像、写真、ドローイングなどです。その内容は様々ですが、戦争や辛い思い出も含まれているため、鑑賞者は少しシリアスな、真摯な姿勢で鑑賞するように自然と促されてゆくようです。それは他者の記憶であると同時に私たちの歴史でもあり、今後私たちの記憶に刻まれる可能性のある物語でもあると思わされるのです。鑑賞者が自身の過去の記憶を考察するような参加型の作品もその姿勢を後押しします。
しかし、日が沈んで夜の部が始まると、訪れた誰もが、空間内にあるステージでカラオケをすることができます。全てを忘れるかのようにカラオケに興じる鑑賞者の姿は、昼間のそれとはうって変わって楽観的に見えるかもしれません。このコントラスト自体もアーティストによる狙いであり、その巧みな仕掛けによって、私たちは決して忘れるべきではない過ちや記憶を、時々忘れながら生きることしかできない人間の愚かさや愛おしさを改めて感じます。
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社会(や歴史、政治)に対して強い問題意識を持ちながらも、それらをユーモラスに表現できる、これはアンガーというアーティストが持っている素晴らしい特徴のひとつといえるでしょう。新しいものは、過去の記憶を丁寧に探っていくことで生み出されるのかもしれません。
個人の経験がどう歴史を作っていくことができるかという視点も興味深い問いかけでした。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
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by arcus4moriya | 2015-11-18 15:00 | AIR | Comments(0)
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